歴史

千手院の歴史

1595年
(文禄4年)
下谷町(現在の御徒町)に快實和尚により創建される。
(三百七十四坪一歩御拝領)
(これ以前に僧禅海により神田小柳町に創建されたという記述も残る。)
中野宝仙寺の末寺となる。
1625年
(寛永2年)
上野東叡山寛永寺が創建される。(千手院は「東叡山門前」となる。)
1681年
(元和元年)
現在の大本山護国寺が創建される。
1696年
(元禄9年)
第5世智興和尚により寛永寺領であった現在の下谷金杉(現在の根岸)の地に移される。(千五百二十九坪拝領となる)
1696年
(元禄9年)11月1日
大本山護国寺の末寺となる。
1700年
(元禄13年)
庫裏客殿五智堂建立。
1717年
(享保2年)6月9日
火事により五智堂を残し庫裏客殿等の伽藍の大半を焼失。
1720年
(享保
年)
類焼する。
(『護国寺日記』参照)
1720~1727年
(享保五年~享保11年)
庫裏客殿等再建。
1727~1855年
(享保11年~安政2年)
寺誌喪失し、不明。(この間に本堂建立。)
1855年
(安政2年)
安政の大震災により、本堂・表門が皆潰。
(本堂にかかる「寄進者連名額」を参照)
1862年
(文久2年)
須弥壇完成。(須弥壇銘「文久二壬戌年八月吉日 日本橋東中通 大仏師 安田法橋」)
この頃までに、本堂が修復されたと思われる。
1867年
(慶応3年)
江戸幕府滅亡。
1884年
(明治17年)
弘法大師1050年御遠忌伽藍修繕。本堂庫裏屋根葺き替え、内井戸新規営繕。
(本堂にかかる「寄進者連名額」を参照)
1885年
(明治18年)
本堂・表門落慶法要。
1898年
(明治31年)
隣町坂本より回禄の災起こり、表門・境内周囲の墻壁等総て灰燼に帰す
(「当寺第廿二世中興伝灯大阿闍梨苾蒭常元之略伝」参照)
1923年
(大正12年)
関東大震災。お堂の一部を被災。
1926年
(大正15年)
本堂庫裏大修繕成り落慶供養。
1945年
(昭和20年)
東京大空襲。客殿に爆弾が落ちるものの不発。
1952年
(昭和27年)
観音経読誦会が初めて開催される。
1957年
(昭和32年)
本尊修復並びに休憩所新築等境内伽藍内外大修築整備。
(本堂にかかる「寄進者芳名額」を参照)
2008年
(平成20年)
本尊修復
2009年
(平成21年)
五智如来修復
2013年
(平成25年)
本堂耐震修復工事完了
2019年
(平成31年)
庫裏客殿耐震修復工事完了

※千手院所蔵『諸記録』等による。

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